被ばく牛と生きる -Nuclear Cattle-
タイトル | 被ばく牛と生きる -Nuclear Cattle- | ||
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原作 | 松原保 | 監督 | 松原保 |
脚本 | 榛葉健(プロデューサー) | 音楽 | ウォン・ウィンツァン |
ジャンル | ドキュメンタリー | 公開日 | 2017年10月28日 |
視聴スタイル | 映画館 | ||
評価 | ★★★★☆ | 視聴日 | 2018年01月28日 |
あらすじ | 3.11東日本大震災で被災し、多くの畜産農家は育てていた牛達を手放さなければなりませんでした。 それに抗い、牛を育てて来た人達や取り巻く状況を追ったドキュメンタリーです。 |
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心に残ったシーン | 牛舎で餓死した沢山の牛のシーン。 吉沢さんの姉が、吉沢さんに対して「牛を育てるのに専念してくれればいいのに。」を含めて、語るシーン。 大学教授が、研究に活かすのが、被曝牛が生きていける唯一の方法。 「生き物はもう飼わない」と宣言するシーン。 登場人物のアップから、引きながら福島を上空から見た様子を映すシーン。 |
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感想 | Facebookでシェアされた投稿で、この映画を知りました。その感想が衝撃的で、私も実際に映画を観て、福島の被曝牛(ひばくうし)の現実を知りたくなったのです。 冒頭の牛舎のシーンは確かに衝撃でした。ただ、それは通過点でしか無く、被曝牛の厳しい現実は今も続いているのです。 この映画は、反原発の話では無いし、被災者を見世物にしたお涙頂戴の話でもありません。福島の現状を的確に伝え、多くの人に知ってもらう為の映画です。その中には、愉快な要素はありませんでした。淡々と現実を理解するための映像が続いています。竹下景子さんのナレーションが、それぞれのシーンの適切な説明をしてくれます。 この、現実をありのままに伝えようとする姿勢は、プロデューサーの意向の様です。テレビでは、視聴率を稼ぐための作り方になってしまって、被災者の本当の気持ちを伝えられなくなってしまいます。視聴者を楽しませる方向に、どうしても動いてしまうからだそうです。この映画は、被災者に寄り添った映像になっています。 食用には使えなくなったからと、一方的殺処分を迫る国、それに抗う一部の畜産農家たち。牛を生かす事を選択した畜産農家達は、それぞれの信念の下で牛を飼育しますが、長い年月、取り巻く状況の下で、結局、殺処分しなければならなくなってしまう無念さが伝わってきました。牛を生かす判断をした人たちに対して、早くに牛を殺処分してしまった畜産農家仲間からは、「俺たちは、殺処分したのに、お前らは生かしておいてずるい」と言われてしまったり、辛い思いが続いているのです。 浪江町で「希望の牧場」を営んでいる吉沢さんは、生き残った牛たちを飼育している傍ら、渋谷などでデモ活動をしています。それはそれで、必要な活動なのだと思います。ですが吉沢さんのお姉さんは、渋谷で聞いてない人に向かって叫ぶよりも、牛達をしっかり育てる方法に目を向けるべきと考えていて、お姉さんの現実的な考えに、非常に共感しました。お姉さんの談話と現実とのカットの切り替えが、印象的でした。 岩手大学農学部教授の岡田さんが、牛を生かす唯一の方法は、低線量被曝下の牛達を研究に活かす事だと見抜き、実践している姿が素晴らしいと思いました。自分自身が問題に向かい合って、どうやれば解決できるかを考えれば、道が開かれます。 家畜の牛は食べられる為だけに生かされているのですかね? 平常時にはそうかもしれません。でも、予期されなかった事態の後は、もっと違う考えで扱わなければならないと思いました。何事にも例外が必要です。人の温かみがわかる対応が必要です。そんな事を強く考えさせられました。 登場人物のアップから、引きながら福島を上空から見た様子を映すシーンが良かったです。最初、クレーンカメラかな? と思ったのですが、引いて行く映像を見て、ドローン撮影だとわかりました。非常に効果的な使われ方をしていたと思います。エンドロールにも、しっかり「ドローン撮影」が使われていることが出ていました。 映像や話の内容に華やかさはないですけれど、じっくりと噛み締めて、考えを掘り下げる必要性を訴えてくる映画でした。 |
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