舞台「だんだん」を観て来ました(最終章)[追記あり]

マナカナ,文化・芸術,映画・テレビ・ラジオ

11月10日の熊本公演で、舞台版「だんだん」はその幕を閉じました。これで、晴れてネタバレ解禁です。さあ、思いっきりネタバレを…と思いましたけど、最後に観てから一ヶ月以上経ってしまったので、忘れている事がたくさん…。覚えている範囲でまとめてみます。ちょっと、とりとめの無い感じになってしまいました。
まず、評価です。全般的に良かったと思います。私の基準では、5段階評価で4です。5じゃない理由は、BGMの選曲が今一つだったかなぁと言う所です。それと、泣きを誘うベタな新規ストーリーにちょっとがっかりした事です。
物語は、テレビ版を沿った形で3/4、残りが新規ストーリーで1/4を占めていたと思います。出雲大社のシジミジルライブで、めぐみとのぞみが出会い、双子である事に気付き、自分たちそして両親の過去を知り、とまどい、石橋の熱意で歌手としてデビュー、そして解散、元の暮らしに戻ると言う感じでした。
終わり方としては、綺麗だったと思います。テレビ版では、コンサートツアーの最初で、めぐみが突然の解散宣言でした。舞台版では、きちんとコンサートツアーを続けて、最後の幕をのぞみが閉じていました。解散宣言をのぞみに言わせたのは、テレビ版で茉奈さんが辛い思いをしたせいでしょうか? 解散宣言は、重々しくなく告白されて舞台の終わりに丁度よかったです。
新規ストーリーの、「(赤ちゃんの)のぞみが笑ったんだが」と忠が告白する所には魅かれて、ちょっと感動しました。でも、その後が「死のうとした時に、のぞみが笑って、つられてめぐみも笑った。それで、死ぬのを思いとどまった。」と言う、ベタなストーリーに興ざめしてしまいました。泣きを誘っている事が見え見えの気がして…。でもこれが、新規ストーリーの一番の展開(見せ場)なんですよね…。どういうストーリーにすれば良いのかわかりませんけど…。
安易に「死のう」としたストーリーを入れるのは、感心しませんでした。私は、死にたい・死んだ方が楽だと思った事はありますが、死のうと思った事はありません。違い、わかりますか?
最初に書いた通り、この展開も含めて、5段階中4ですので(5が最高)、一つの感想と思って捉えて下さい。
この記事を書く為に、以前書いた記事を読み直してみたのですが、だいぶ忘れています…。覚えている時に、もう少し下書きを書いておけば良かったです。これも覚えている範囲で、以前の記事で隠していたシーンについて書いてみたいと思います。
舞台は、夢花が黒髪を舞うシーンで始まります。その瞬間、三倉佳奈さんは、役者スイッチあるいは夢花スイッチが全開でONになっています。ものすごく集中しているのだと思います。
それと、舞台終盤の泣きのシーン。茉奈さんも佳奈さんも本当に涙を浮かべています。毎回、泣いているのですよね? どうやったら、涙が出る物かと…。
そば爺役の石倉三郎さん、田島健太郎役の木咲直人さんは、話にスパイスを加えるような感じです。石倉さんが絡むと、舞台の体温が1, 2℃上がるような気がします。
健太郎は、コロッケにかけるのが、しょうゆ派とソース派に分かれる部分で、しょうゆが如何にコロッケに合うのかを力説していました。味の宝石箱(玉手箱とも言っていたと思います)と。それと、忠と真喜子がだき合うシーンを2度も目撃してしまうと言うのも、話の盛り上げに重要だったと思います。
石倉さん(そば爺)の演技には、アドリブがいっぱいだと思います。多分ですけど、アドリブの為に用意されているシーンがあると思います。忠(吉田栄作さん)とそば爺が舞台に戻ってきて、絡むシーンです。私が観た時は、忠に「何で出てくるんだ?」とそば爺に言われた所、そば爺が忠にごちゃごちゃ言って、忠が「何ごちゃごちゃ言っとるかね」と言う所がアドリブだと思います。
後から聞いたり読んだりした所、ここのシーンは、舞台会場に合わせたアドリブが加えられているようです。どんどん、エスカレートしている様です。
石倉さん(そば爺)とめぐみ(三倉茉奈さん)が絡むシーン、めぐみが京都の大学から田島家に帰ってくるシーンで、そば爺がめぐみに色っぽくなったと言う所で、私が3回目に観た時にアドリブで入っていたと思います。茉奈さんは、それに応じた演技をしていました。そば爺がめぐみに「男か?」と親指を立て、めぐみが「違うけん。」と。
田島初枝役の三林京子さんの芝居は、細かい所まで、良く演技されていました。一番感心したのは、めぐみとのぞみの過去が語られた後、庭先に「はだし」で降りて土下座するのですが、その後田島家セットに上がる時に、ちゃんと足裏を払う演技を加えているのです。
健太郎もその辺はしっかりしていて、お風呂から上がった後、庭先でだき合っている忠と真喜子を見た後で(確か)、はだしで庭に降りてから田島家セットに上がる所で、足裏を払っていました。そして、細かいのが、めぐみとのぞみの過去を知って激高するシーンでは、はだしで庭先→田島家セットに上がる時は、足裏を払いません。ちゃんと、場面に応じて、使い分けられています。
舞台セットは、非常にシンプルにまとめられていました。出雲大社は幕に描かれた絵で、ライブハウス・楽屋やコンサート会場は黒い幕です。セットと言える物は、宍道湖と田島家位だと思います。祇園・花むらは物干し台に集約されています。
BGMとして「母なる宍道湖」が安易に使われ過ぎと感じました。田島家セットと花むらの物干し台で、電話越しに双子の話をする時、「出生の秘密」が良かったんじゃ無いかな? 他の曲が使われていたと思います。
舞台で、何曲か歌われていました。歌われていた歌は、次の通りです。kenz50さん(kenz50 ブログ)にメールで教えていただきました。補足を加えて掲載させていただきます。ありがとうございます。

  • シジミジルのテーマ
  • 赤いスイートピー(1回目。石橋さんのせいで中断)
  • 赤いスイートピー(2回目)
  • 上を向いて歩こう(路上ライブ3曲目)
  • 赤いスイートピー(3回目。一幕最後に)
  • 赤いスイートピー(4回目。夏休み帰省で)
  • あのすばらしい愛をもう一度(TV映像のバックに)
  • 恋のバカンス(ライブハウスで)
  • 渚のシンドバッド(ラジオから流れてる)
  • いのちの歌(ラストコンサートで)

他、コネタですけど…。
忠は、抱きつき過ぎだと思います。嘉子(古村比呂さん)は2回、のぞみ1回に、のぞみ+めぐみで1回。うらやましすぎます。
石橋(山口翔悟さん)が、めぐみに「けだもの」って言われて、うろたえる所がよかったです。「けだも…」って口ごもる所が。
そば爺が、「丘の上『ひまわりの花』」と歌ったり「丘の上『朝顔の花』」と歌詞を変えて歌う所があるのですが、健太郎はそれに応じて受け答えをしていました。
そば爺が、「お店が忙しい」と愚痴るシーンの後ろで、めぐみが「いつもはガラガラ」みたいな台詞をきちんと演じている所に感心しました。
役者さん達が庭先から田島家セットに上がる時、靴が揃えられないで上がった後は、その場の誰かが靴を履きやすいように揃えていた所にも感心しました。
田島家セットに貼られているカレンダーは、2000年夏のシーンでは2000年7月8月、2001年夏休みのシーンでは2001年8月の物が使われていました。細かいです。でも、その次の年と思われるシーンでの、「渚のシンドバッド」のポスターは2003年6月25日になって、1年進んでいます。テレビ用ポスターの使い回しだからだと思います。文字は、双眼鏡で確認しました。
そば爺の呑んでいるお酒は、杜甫でした。忠の呑んでいるビールは、麒麟ラガーです。健太郎が飲んでいるのは、コカコーラでした。これらも、双眼鏡で確認しています。
田島家の庭先のプランターの花が、2000年夏は朝顔、2001年夏はひまわり、と小道具チェンジがありました(逆だったかもしれません)。
出雲の神様が、田島家の植木に対して文句を言うシーンは、何の為だったのでしょうか? 仲間内では、「衣装チェンジの為の時間調整だろう」と言う事でしたが。
(追記 2009-11-12 01:01 めぐみが京都から田島家に帰ってくるシーンで、めぐみは本当に色っぽくなっていたと思います。)
色々書いてきましたけど、面白かったです。時間とお金と気力と体力があれば、もっと観に行きたかったです。
最後に、主演された三倉茉奈さん・三倉佳奈さんを始めとする出演者のみなさん、脚本の森脇京子さん・演出の樫田正剛さん、舞台を支えてくれたスタッフ・ボランティアのみなさん、ありがとうございました。良い舞台をありがとうございます。
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Posted by お市のかた