ゲド戦記
今日、「ゲド戦記」を見てきました。生きる勇気をもらった気がしました。
話の内容は難しかったです。背景の説明があまりなくて、ストーリーを追いかけるだけで精いっぱいでした。でも、面白かったです。
ネタばらしになってしまうので、映画のパンフレットに書いてある程度の事プラスαで、BLOGを書こうと思います。
まず、「ゲド戦記」ってなに?「ゲド」ってなに?という疑問があります。「ゲド」は、魔法使い「ハイタカ」の本当の名前の事。これは、映画の中でも出てきました。パンフレットを読んでから分ったのですが、「ゲド戦記」の原作は5巻+別巻の全6巻あります。その中で、「ゲド」の話が展開されていくようです。映画は、原作のうちの第3巻を元にしたものと言う事です。1〜2巻の事を知らなくても、ストーリーは追えますが、もう少し説明があっても良かったなと思いました。
パンフレットからの引用ですが、「あたしは」「生きて次の誰かに命を引き継ぐんだわ。そうして命はずっと続いていくんだよ。」という言葉があります。これは、最近の私の考えと、完全に一致しています。
もし大切な人を失う事になったとしても、その大切な人の思いは心の中に残ります。そして、その思いを自分の中で暖めて、次の人につないでいけばいいのです。
これと同じ話は、「さだまさし」さんのトークの中でも言われていました。私は、その影響です。
また引用ですが、「死ぬ事がわかっているから命は大切なんだ!」「死んでもいいとか、永遠に死にたくないとか、そんなのどっちでも同じだわ!ひとつしかない命を生きるのが怖いだけよ!」。この言葉に生きる勇気をもらいました。
面白かったのですが、所々、怖い描写があります。小さな子供は、映画を見ると怖くて泣いちゃうかもしれません。事実、映画館の中で泣いている子供の声がしました。
ディスカッション
やはり見に行ってましたか。
ゲド戦記(原書→訳本)は、キリスト教的世界観がよく言われるのですが、妻の感想は、ロードオブザリングのほうが上だそうで。
私は、訳本を読んでいる最中です。
はい、見に行きました。映像もキレイでした。
「キリスト教的…」と言われると分らないのですが、命の大切さを説いていました。
一方で、「この世に永遠に生き続けるものなどありはしないのだ。我々がいつか死ぬ事を知っていると云う事は、我々が天から授かった素晴らしい贈り物なのだよ。」(引用終わり)とも言っています。無常観というのでしょうか?これは仏教から?
今日は、半分休んで1巻を読み終えました。
こういう内容の本は好きです。名前。言葉。いのちというのがちょっと聖書的といえば聖書的かなぁと、まあそんな程度です。でも、人間観なんかはけっこうそういう背景のもとに書かれていると思います。あちらの人たちは少なからずキリスト教の影響の中に生きていますから・・
死を知って生に生きるという背景と、引用されている部分は同じかなぁと思いました。無常とはちょっと違うような印象です。1巻を読んでの感想ですが・・。
永遠という見えない背景を持ちつつ、有限の世を精いっぱい生きるというか・・
一巻だと、まだゲドが羊飼いをしているころの話なんですよね?
「有限の世を精いっぱい生きるというか・・」そうですね。大切な事ですね。
羊飼いならキリスト的なんですが、山羊飼いとなっていました。才能を見いだされ、成長して行くのですが・・
その成長の苦しさ、何かを見つけるために受ける痛み、痛快娯楽なんかではなく、とても深い、考えさせる、もしかしたら哲学的な本です。子供の頃、青年の頃、結婚して、老年になって、読むたびに感想も違うかも知れません。
もちろん、ファンタジーでもあるとは思います。FFとかイースとか、映画好きなら、頭の中にアースシーの世界が浮かび上がることでしょう。
ヤギ飼いでしたか…。失礼しました。
コメントで書くようなことじゃないのかも知れませんが、誤解を元に、先のコメントも書いてしまったので以下、たぶん正しいであろうことを書かせていただきます。
調べてみると、英語のサイトの情報によると、著者のル・グウィン(女性)さんは、フェミニストで道教を信奉しているようです。そんでもって、神について書くけれども、無神論者なんだそうです。
考えてみると、聖書はいろんなゲームや映画の素材になってるけれども、それは作者の信仰とは無関係なのでした。
わざわざ調べていただいて、ありがとうございます。
今日、出かけたとき、出先で「テルーの唄」がかかっていました。「ゲド戦記」のサウンドトラックを買おうかどうか迷っているのですが、やっぱり欲しくなってしまいました。買ってこようかな…。
あ、「テルーの唄」って、作曲が谷山浩子なんだ。今調べていて気が付きました。