「ナンシー関のいた17年」を見ました

文化・芸術,日記・コラム・つぶやき,映画・テレビ・ラジオ

テレビをつけたら、偶然やっていました。

今回が、再放送だったんだ…。もう一度ちゃんと見たいな。

ナンシー関さんはご存知でしょうか? 消しゴム版画にコラムを組み合わせて紙面をにぎわせたコラムニストです。残念ながら、2002年に亡くなりました。

私は、ナンシー関さんの消しゴム版画作家としての一面しか知らなかったのですが、コラムニストだったのですね。番組中で、コラムの一部が紹介されていましたが、面白いです。また、昨年、渋谷で展覧会が開かれていたそうです。行きたかったな…。

ナンシー関さんのコラムスタイルを作ったのはいとうせいこうさんだそうです。元々、消しゴム版画に添えられている台詞が、すでにその人を見る切り口が優れていると見抜き、文章を書かせた所、それが非常に良い出来だった様です。それで、消しゴム版画+コラムと言う形式ができたとの事でした。

いとうせいこうさんが、ナンシー関さんがいた頃の紙面は、緊張が溢れていて、面白かったと話されていました。確かに、あの切り口で、人、そして人を通した社会を見ていると、ハッとさせられます。

「徹子の部屋」は、一見、善意の番組に見えるけれど、出演者にとっては実は恐ろしい番組だったのでは? と言う見方が印象に残りました。黒柳さんが出演者を持ち上げている様に見えて、実は出演者の首を真綿で絞める様な残酷な一面があると言う見方です。「善意からでも悪意を作り出せる」みたいな表現だったと思います。

[amazonjs asin="4309412920" locale="JP"]

この様な素晴らしい仕事をされていた関さんですが、ご両親には、良い仕事とは理解されていなかった様です。保守的な見方をすると、あるいは表面しか見ていないと、他人の悪口を書いている様にしか見ないかも知れません。関さんは「悪口ではない。批評だ。」と反論します。ご両親は、それを悪口と取られ、恨みを買い、暴力を受ける事を恐れての思いだった様です。難しいですね。

番組の最後が、この「ナンシー関のいた17年」を、もしナンシー関が見たらどう批評するか? と言う自己批判番組になっていたのも面白かったです。

Posted by お市のかた