愛を忘れない

2015年8月19日心と体,日記・コラム・つぶやき

冷めた心を持つと言うことの補足です。「冷めた心を持つ」と言うのは、決して、冷たい人間になるという意味ではありません。車のエンジンにラジエターが必要なように、CPUにクーラーが必要なように、心にも冷却機が必要と言うことです。熱くなった、行き過ぎた心を冷ますのに、冷めた部分が必要だと言うことです。

「生命(いのち)」と「愛」を大切に思う心を忘れなければ、進む道を間違わないと思います。

…あー、書いていて、何か嘘臭いな。自分を格好良く見せたいだけじゃないの? と、自問自答しても、答が出ません。間違ったことは書いていないと思うのですが、うまく表現できないのです。

今は答も出せないし、うまく表現も出来ません。もしも、表現出来ていたら、今の職業に就いていないと思います。今後、考えがまとまったら、続きを書くかも知れません。

現況を表すために、さだまさし作詩、「非因果的連結(シンクロニシティ)」より引用します。

大空を自由に飛びたい
何処までも 空高く
僕は誰 何のために生まれ
僕は何故 生きてる作詩:さだまさし「非因果的連結(シンクロニシティ)」より

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本当に、何故なのでしょう? 一日一日を、生きることで、精いっぱいです。もっと、力を出し切りたい! でも、今は、そんな余裕がない…。そんな感じです。死ぬまで生きること。愛を忘れないこと。想像すること。今出来る、三つのこと…。

Posted by お市のかた