神はサイコロを振らない
このブログを見ている会社の友人が「『神はサイコロを振らない』というのはアインシュタインの名言だよ」と教えてくれた。量子力学を批判するためにいった言葉らしい。家に帰ってからGoogleで検索すると、やはりそのようだ。
アインシュタインは、確率的に決まるという量子力学の曖昧さが、気に入らなかったらしい。
この言葉を単なる批判としてとらえるだけではなく、量子力学を見直すきっかけにもなっているそうだ。量子力学が確率的に見えるのは、その中に隠された法則を人間が単に知らないだけなのかもしれないと。
ドラマ(小説)のタイトルがそういう風に決まっていたとは知らなかった。これで、また一つ賢くなった。
ディスカッション
おっ、神様ネタですね。いや、アインシュタインか。
でも、すべてのことは偶然に起きることは一つもない。神に知られないことはない。というのは聖書的な考え方につながるし、私が信じるのはそんな理由もあるのです。
当のアインシュタインはユダヤ人だったから、子供の頃は熱心なユダヤ教徒。科学を学んで聖書との矛盾(ほんとは矛盾なんて無いけど、人間にはわからないだけ)に悩んで信仰から離れ、老年、やっぱり神様のところに帰ってきたんじゃないかと推測されます。それは「神はサイコロを・・」の言葉に表れているような・・。
「宗教なき科学は不具であり,科学なき宗教は盲目である」とも言ったそうです。なるほど・・。
なるほど、味わい深い言葉ですね。勉強になります。
神様ネタということでコメントさせていただきます。
私が20年近く前に読んだ本に書いてあったのは、元来科学というものは、神が創造した調和の美しさを立証するためのものだったということです。
「宇宙や自然を研究して、その根底にある深遠な原理、みごとな秩序を見出すことは、そのまま神の創造の御業の素晴らしさを見出して、それを人々に知らさせ、こうして神に栄光を帰することになるのだという気持ちが、近代科学を作り出した人々のなかに多かれ少なかれ働いたのは、否定できないことなのである。」(「科学者とキリスト教―ガリレイから現代まで」ブルーバックス,渡辺 正雄)
確か音楽にもそれに近い意味があったと思います。
そういう意味では、調和した世界を創造した神がサイコロを振る訳はないのだというのが、本来の科学者の見方なのではないのでしょうか。
コメントありがとうございます。
テレビのネタが、そちら方面へ行きましたか…。
テレビの方は、きっと最終回に、飛行機に乗っていた人全員が消えてしまうのだと思います。何にすがっても無意味という事で、こういうタイトルがついたのでは?と思います。
原作を読んでいないのでわかりませんが。