映画「Start Line」から考える聴覚障害問題

さだまさし,心と体,日記・コラム・つぶやき,映画・テレビ・ラジオ

日本縦断のルールについて

まず、事前に決めた5つのルールに付いて考えてみました。このルールが決められた目的は、次の為だと思います。それは、今村監督を安全に沖縄から宗谷岬まで自力で走れる事をサポートし、聴者とのコミニュケーションをテーマにした映画を撮れる様にする事です。この目的に沿って、次の5つのルールが決められているのだと思います。

● 縦断中のルール
1.自転車のパンク・タイヤチューブ交換などの簡単なことは助けない。
2.撮影すること以外は助けない。
3.私と旅で出会った聞こえる人との通訳はしない。
4.宿の手配やキャンセルなど私の代わりに電話をするということはしない。
5.私が道に迷っても教えない。
StartLine 公式サイト 伴走者より

これらは非常に理にかなっており、適切な内容だと思います。ただ、ルール3と4は、聴覚障がい者に取って、かなりきついルールです。不可能ではありませんが、相当な努力と工夫が必要になります。

まず、努力しても、どうにもならない事があります。それは、今村監督の耳が聞こえない事です。これは物理的に無理で、努力する所ではありません。次のtweetが興味深かったので、引用します。

https://twitter.com/harukimiyamoto/status/818789214531633152

ただ、物理的に出来なくても、工夫すれば出来る事はあります。例えば、水中での呼吸も、酸素ボンベを使えばできてしまいます。ただ、装備が必要で、完全に出来るようにはなりません。一定の制約が付きます。

聞こえないと、例えば電話が出来ません。電話が出来ないと、宿の予約を取りにくいです。ウェブで予約出来るホテルが多いですが、日本縦断の中では、そうじゃない所も泊まる必要があったと考えられます。

そういう宿に対しては、例えば、電話リレーサービスを使うと、ある程度解消出来ます。でも、酸素ボンベの例と同じように制約があります。例えば、電話リレーサービスの営業時間が決まっていて(18時までとか)、遅い時間だとサービスを受けられません。

すると、どうなるか? 必然的に、誰かにお願いして、電話をかけて貰うしかありません。夜、遅い時間に頼めるとしたら、実質的に宿のフロントしかないでしょう。外まで出かけて、道を歩く人にお願いする事は現実的に無理だと思います。

旅のルールに例外規定を設けて、伴走者の堀田さんは電話での交渉はしないけれど、電話リレーサービスのサービス時間外は、堀田さんがその代わりをする様にしたら、かなり楽になったと思います。でも、それを作らなかったのは、それに甘えてしまう事を防ぐ為だったのでしょうか?

日本縦断で今村監督が苦労した理由

聴覚障害問題も含めて、「Start Line」での日本縦断で、今村監督が苦労する理由は、大きく分けると、次の4グループになると思います。

  1. 自転車初心者なため
  2. 聴覚障害を持っているため
  3. 性格的な理由
  4. その他の理由

それぞれについて、映画のシーンの中から拾ってみました。

Start Line

1. 自転車初心者なため

自転車初心者の為、ハンドサインを出すのを間違えたり、信号に気が付かなかったり(黄色信号の判断ミス)、坂道の登り降りで苦労します。大きくコースを間違えて、時間を無駄にする事もありました。

これらの事は「安全に沖縄から宗谷岬まで自力で走れる事」と照らし合わせて、それに違反するので、堀田さんは今村監督を厳しく叱ります。何度も。

それと、毎日平均75km走ると言うのも、初心者には過酷です。初めての箱根峠では、自転車を降りて押してしまいます。

私が、以前箱根越えをした時も、押して歩きました。

ツーリング箱根越え

今村監督が、自転車(ツーリング)に慣れていたのなら、これらの苦労が低減されたと思います。

2. 聴覚障害を持っているため

聴覚障害自体は、今村監督がコミニュケーション出来ない理由にはならないと思います。障害の本質は、健聴者に聴覚障害とはどう言う事なのかを理解して貰えていない所にあると思います。

今村監督は、健聴者とコミニュケーションを取る場合、主に口話/読話(相手の唇を読み取る)を使い、補助的に筆談を使っている様です。手話の出来る健聴者に対しては、手話で会話します。

口話の場合、相手がハッキリとした口の形でゆっくり話して貰えると読み取り易いです。映画中では、マスクをしていたり、口の動きが小さくて読み取り辛い例がありました。映画中では、マスクは外して貰える様にお願い出来ていましたが、口の動きが小さい人に対しては何もアクション出来ませんでした。

これらは、聴覚障がい者と会話する時に、手話の出来ない健聴者が注意しなければならない事です。この様な注意を出来る健聴者は少ないと思います。何故なら、聴覚障がい者との話し方(接し方)を知らないからです。

映画中では、筆談をお願いしても断られた例がありました。また、状況的に筆談をお願いし辛い場合がありました。これは、仕方ないのかと思います。

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尾道のシーンでは、家族に聴覚障がい者を持つ男性が登場しました。この方は、自然と口をハッキリ開けて話していた様で、今村監督も「口を読み取り易いです」と言っていました。相手が聴覚障がい者との話し方を知っていれば、コミニュケーションが簡単になるのです。

その様な聴覚障がい者に慣れた方と話す場合でも、読話に限界があります。映画では次の例がありました。「おっと(夫)」「ホット」では口の形が同じ為、文脈の中で、あるいはバックグラウンドの知識で判断する必要がありますが、今村監督は読み取り間違いをします。初対面の人では、相手のバックグラウンドがありませんから、読み間違える可能性が高くなります。

そして、地図を見ながら、説明を聞く(唇を読み取る)と言う、物理的に不可能な状況もありました。これは、地図に説明を書いて貰うようにすれば良かったのかも知れませんが、書き込みの出来ない地図だったかも知れません。メモ用紙を使って貰えば良かったのかも知れません。でも、ツーリングに慣れていない今村監督は、その様な事に気がつく余裕はなかったと思います。

先に書いた通り、聴覚障がい者と会話する時に、どの様にすれば良いかを、健聴者が知識として持っておく必要があります。それを知らない健聴者には、今村監督が説明すれば良かったのだとは思いますが、毎回毎回説明するのは大変です。疲れていたり、時間的制約などで。

車イスや白杖の人に道を譲るのは、多くの人が割と自然に出来ると思います。何故なら、外見ですぐに障害を持っているとわかるからです。対応方法も容易に想像出来ます。

でも、聴覚障がい者の場合は、外見からだと気付きにくいです。補聴器を付けている聴覚障がい者が多いですが、全員が付けている訳ではありません。付けていても、補聴器が小型なので、髪の毛に隠れて見えなかったりします。

今村監督の場合は、補聴器を付けても、通常の会話としては聞こえません。補聴器を付ければ、音がしているかどうかがわかるだけと、映画の中で語られていました。

一口に、聴覚障害と言っても、様々なタイプの人がいます。今村監督の様に先天性だったり、中途失聴だったり。また、聴覚障がい者の全員が手話を出来る訳ではありません。読話能力も様々です。筆談をすると言っても、日本語能力にも差があります。

今村監督の日本語の読み書き能力は非常に高いです。私が会った先天性聴覚障がい者の中では、片手で数えられる位の中に入るかも知れません。

補聴器を付けたからといって、全ての聴覚障がい者が、その内容を理解できるとは限りません。聴覚障害には大きく分けて、伝音性難聴と、感音性難聴があります。伝音性難聴は、音を伝える器官の障害です。この場合は、補聴器を付ける事で、会話を聞き取りやすくなります。感音性難聴は、内耳/聴神経系の障害で、補聴器をつけても「言葉」として聞き取る事ができません。

また、今村監督の発音はとても綺麗です。発音の綺麗さは、私が今までに会った先天性の聴覚障がい者の中では、片手で数えられる位の中に入ります。お母様が、話し方と読み書きを今村監督に教えたと語られていましたが、ものすごい努力をされたと思います。今村監督もお母様も。逆に、その発音の綺麗さが、相手に今村監督の聴覚障害を気付いて貰えない原因だったのかも知れません。でも、そう考えてしまうと、発音を習得した努力は一体何の為だったのだと言う事になってしまいます。それは、余りに悲しすぎます。

聞こえない為に(今村監督から反応が返ってこない為に)、今村監督が外国人と間違われて、英語で話しかけられると言う事がありました。これは、相手の思い込みになってしまう事で、仕方のない事でしょう。これは、自分の努力で変えられる所ではありません。

自分の状況を相手にわかって貰う事は大切です。北海道で出会ったウィルさんは「僕は見た目で外国人とわかるから、相手がその様に対応してくれるけど、彩子にはそれが無いから大変だと思う」と言う主旨の話をしています。これの実例として、道の駅で「100km、ワンハンドレッド」と言い直してくれた青年がいました。青年がウィルの状況に合わせて、コミニュケーション方法を工夫してくれたのです。

話しを完全に聞き取れなかったり、相手の話しが飛んで、理解が難しい会話もありました。例えば、バイパスの話では、聞きたい事を伝えるのに苦労していましたし、相手の話を聞き取るにも苦労していました。そして、「今日は伊勢(三重県)から来たけど、生まれは滋賀」という話が映画で出てきますが、この会話は文脈に乗らずに話が点々とします。これは健聴者同士の話しでもある事なので、これを理解できるようになるのは慣れの問題だと思います。

聞こえない事、聞こえないとはどう言う事かをわかって貰えない為に、色々なトラブルに巻き込まれた事を、先日のトークショーの中で早瀬監督は「聞こえないから仕方ない」と表現していたのかも知れません。

横浜シネマ・ジャック&ベティで「Start Line」を観てきました

3. 性格的な理由

コミニュケーションの障害には、今村さんの性格的な所もありました。今村監督は、大勢の健聴者の中に入って行く事が苦手なのです。でもこれは、当たり前だと思いました。

私だって、ろう者だけの集まりに入るのは勇気と慣れが必要です。また、英語を話す人達の中に入るのも難しいです。どちらも、話の中でどう言う話しをされているかわかりづらいです。こう言う時は、話しをじっと聞いていて、自分で読み取れる、聞き取れる内容で、かつ自分にも知識がある会話になった隙に入る様にしています。

他に、性格的な所では、ちょっと雑な所、面倒くさがりな所、段取りが下手な所、地図を読めないとか方向音痴な所が、日本縦断の障害になっていたかと思います。結果として、効率が悪くなり、時間がかかる事になります。でも、これも仕方ないかな、と思います。ただ、時間的制約もあったはずなので、これとの兼ね合いが難しい所です。

他に、失敗の原因を堀田さんに押し付ける、手話で会話出来るろう者の世界に逃げてしまう、と言う事がありました。

「失敗の原因を堀田さんに押し付ける」問題は、映画中で深く反省されています。それに気が付けたのが旅の終盤の北海道の札幌に着いてからですが、非常に重要な事だと思います。良く、自分で気が付けたと思います。

「ろう者の世界に逃げてしまう」は、疲れていて仕方なかったのかもと思います。誰でも、安心出来る空間は欲しいです。これも途中で気が付いたのでしょう。旅の後半では、そう言う事は無くなります。

ライダーズハウスで、今村監督は「大勢の健聴者の中に入ってみる」経験をしました。大勢の健聴者の輪に入る勇気が付いたと思います。さだまさしさんの言葉ですが、「元気と勇気は、使えば使うだけ増える」とおっしゃっています。まさに、今村監督が勇気を増やした瞬間でした。

旅の途中で、今村監督は性格的な問題3点を克服しています。素晴らしい事です。

4. その他の理由

その他のアクシデントとして、台風が来てフェリーが欠航したり、パンクしたり、同じ名前の港が二つあったりと。港に付いては、下調べが十分だったら避けられたかも知れませんが、他の件はどうしようもありません。

でも、これらのアクシデントにきちんと対応出来ていたので、問題無いのではと思います。

コミュニケーションに必要なこと

映画「Start Line」、今村監督の舞台挨拶、講演では、堀田さんから言われた通り、「健聴者とコミニュケーション出来ないのは、コミニュケーション方法が下手だから」と結論づけられています。

これは確かにその通りで、工夫する事で、健聴者とのコミニュケーションが上手く行くと思われます。しかし、それでもやはり、健聴者に聴覚障害に付いての知識を持ってもらい、コミニュケーションし易い様に配慮して欲しい所です。

これは甘えでしょうか? そんな事はないと思います。例えば、車イスの人が手の届かない高い所にある物を取りたいとします。マジックハンドの様な道具を使えば取れるのかも知れません。でも、それで全て解決出来る訳ではありません。近くの健常者に手伝って貰うのが正解だと思います。

聴覚障がい者が健聴者と話す時も、健聴者にハッキリゆっくりと口を動かして貰うとか、簡潔な文章で(重要です)筆談して貰うとか、健聴者に大きな負担とならない範囲で協力して貰っても、何も問題無いと思います。

「Start Line」を観た友達と話していて、「今村監督は、ろう者の事をもっと知って貰うための映画を撮ったら良いのに」となりました。

今村監督は、「Start Line」の前には、聞こえない事をわかって貰うための映画作りをしていました。でも、その動機は、「聞こえる人が聞こえない人をわかってくれない怒りからだった」と、新聞や講演会などでお話しされています。でも、「Start Line」を撮って、コミニュケーションの本質が何処にあるかを理解された今なら、怒りの気持ち抜きの別な視点で、聞こえない事をわかって貰うための映画が撮れるのでは? と思います。

コミュニケーションを取るために必要なステップ

コミニュケーションを取るためには、次のステップが必要だと思います。

  1. 自分から相手にコミニュケーションの扉を開く
  2. 自分の状況を理解してもらう
  3. どうやってコミニュケーションすれば良いかを伝える
  4. お互いに歩み寄って会話する

簡単に解説します。

1. 自分から相手にコミニュケーションの扉を開く

これは、当然の事で、自分が伝えたい・知りたい事を相手に知らせる必要があります。まずは、自分の意志です。

2. 自分の状況を理解してもらう

例えば、日本人が台湾に行ったとします。まず、自分が外国人で、中国語を出来ない事を伝えます。すると、相手は対応を考えてくれます。

聴覚障がい者だったら、「私は耳が聞こえません」と書かれた耳マーク付きのカードを見せると良いかもしれません。私の知り合いの聴覚障がい者は、いつもそうしています。

3. どうやってコミニュケーションすれば良いかを伝える

台湾の人と話す時は、筆談で漢字が使えます。台湾で使われる漢字は、ほぼ日本と同じです。漢字の筆談で、結構通じます。

聴覚障がい者毎に、コミニュケーション取りやすい方法が違います。今村監督だったら、口話中心なので、ゆっくりハッキリと口を開けて話してもらう事をお願いすれば良いはずです。細かい事は、筆談をお願いすれば良いと思います。

4. お互いに歩み寄って会話する

ココまでくれば、後はお互いの協力で、コミニュケーションを続ける事になります。

まとめ

最初に書いた通り、コミニュケーションは、お互いに協力して取るもので、どちらかが苦労して繕う物ではないはずです。

多分、映画「Start Line」を観た方は、映画全体を通してこの様な状況に気付き、聞こえる聞こえないに関わらず、コミニュケーションを取るとはどう言う事かを感じるのだと思います。

以上、長くなりましたが、私が映画を通じて聴覚障害問題に付いて考えた結果です。

Posted by お市のかた